トヨタカローラ八戸株式会社

社名 トヨタカローラ八戸株式会社
本社所在地 八戸市小中野1の3の15
設立 1948年2月
事業内容 自動車の販売、点検、整備、カー用品販売、フィットネスクラブ運営など
資本金 グループ合計4億300万円
売上高 (2023年3月決算)グループ合計339億4600万円
従業員数 (23年7月現在)グループ合計788名
支社・支店・工場 八戸、三沢、十和田、むつ、おいらせ、青森、弘前など
関連会社名 ネッツトヨタみちのく、シー・アンド・ヴィカンパニー(Volkswagen)、ツカハラエンタープライズ(Audi)、フィットネスクラブウイングなど
【HP】  https://tsukahara-cruise.jp/corolla/

代表取締役社長 塚原 安雅 氏

採用情報

職種 販売、整備、スポーツインストラクター、フロア・ピットスタッフなど
勤務地 八戸、三沢、十和田、むつ、おいらせ、青森、弘前など
勤務時間 9:30〜19:00(販売職)、9:00〜18:00(整備職)など
インターンシップ あり。8月、12月
社会人採用 あり。随時
採用実績 2022年度28人、2021年度40人、2020年度40人
初任給 大卒営業20万7000円、短大・専門卒営業19万7000円、高卒18万円など(2024年3月卒)
諸手当 家族、役職、通勤、資格、車両借上、販売奨励金、ガソリン援助
昇給 年1回 4月
賞与 年3回 8月、12月、3月
休日休暇 職種別年間カレンダー制(年末年始、GW、夏季連休あり)
保険 雇用、労災、厚生年金、健康、団体生命など
福利厚生 退職金、従業員購入割引、財形貯蓄、慶弔見舞金、社員旅行、フィットネスクラブ利用無料など
大卒選考の流れ リクナビ、マイナビからエントリー→1次選考(適性検査、面接)→2次選考(役員面接)
お問い合わせ 総務課
0120-141-252
recr1124@tsukahara-cruise.co.jp

創意工夫しチームで仕事

―経営理念は。
社員教育に力を入れなければならない。教育の基本は「礼に始まり礼に終わる」に尽きる。新型コロナウイルス禍の4年間で人との面着ができなくなったことから、規制緩和された今、コミュニケーション能力が醸成されていないと感じる。対話能力は面着でやっていかないと。社会への対応能力を磨くには、いろいろな人と会うことが大切だ。
―会社としての課題は。
販売店には仕入れの裁量がない。最低限のスケールメリットを出していかなければならない。物流コストなど、原価低減の面でも努力する必要がある。効率化を見据えて研究を進めると共に、省エネルギー化も進めている。選ばれる企業にしたい。労働力が足りなくなっている。われわれとしては人を育てていくしかない。いかに省人化していくかが一つの課題であり、IT化も進めていく必要がある。
―会社の強みは。
チームとして仕事をしていくという考え方が強い。社員はみんな、創意工夫をしなければうまくいかないと分かっている。重要なのは「見える化」と「標準化」。トヨタ自動車グループの一員として取り組んでいる、トヨタ生産方式の「カイゼン」を土台に、共有しながら人を育てて、より良いサービスの提供につなげたい。
―人材育成の取り組みは。
年代の近い先輩を付けて、手厚い指導をしている。技術や整備の知識のみならず、入社後の研修では、職場に慣れるための土壌作りをしっかりやっている。目標意識を持って取り組めることができる人材を求めている。

燃費を20%改善、新型アクア発売/トヨタ(2021/7/20)

トヨタ自動車は19日、ハイブリッド車(HV)専用の小型車「アクア」を約10年ぶりに全面改良し発売した。新開発の高出力電池を採用し、加速性能を高めつつ燃費を約20%改善した。希望小売価格は198万円から。
ニッケル水素電池の部品を減らしてコンパクトにしたことで電池を多く積めるようになった。電池の出力は従来の約2倍となり、スムーズな加速を実現。ガソリンを使わず電気だけで走れる場面が増えた。ガソリン1リットルで35・8キロ走行できる。ボタン操作だけで駐車できる機能を高級車以外で初めて導入した。
青森県内では、青森トヨタ自動車、青森トヨペット、トヨタカローラ青森、トヨタカローラ八戸、ネッツトヨタ青森、ネッツトヨタみちのくで取り扱う。
販売目標は月9800台。14日時点ですでに約1万5千台の予約が入っているという。

【写真説明】トヨタ自動車が全面改良した新型「アクア」

救急医療向上に役立てて/市民病院にドクターカー寄贈(2021/06/21)

 トヨタカローラ八戸(塚原安雅社長)は17日、八戸市立市民病院(三浦一章管理者)で運用しているドクターカーの新車両を同病院に寄贈した。これまで使用していたドクターカー1号を更新。新車両には大容量バッテリーを搭載し、日々の救命救急活動だけでなく災害時の活用も想定され、地域の救急医療のさらなる発展に期待が高まる。
 寄贈したのはトヨタ「RAV4PHV」。これまでよりも広くなったラゲージスペースには、多くの医療機器を積載できるほか、最大1500ワットの電力供給も可能になった。
 17日、同病院ヘリポートで行われた寄贈式で、塚原社長が「地域医療のためにぜひ、ドクターカーを役立てていただけたら」とあいさつ。三浦管理者が「有効に活用し、救急医療の質のさらなる向上に努めていく」と謝意を示した。
 今明秀院長は出動先で手術ができるドクターカー「V3」との連携も視野に入れつつ、「活動の幅が広がる。最大限に活用し、地域住民の安心安全に貢献していきたい」と述べた。
 ドクターカーは2010年3月に運用を開始。現在は3台体制で、これまでの出動件数は20年3月末時点で計1万4千件に上る。このうち、予測救命率50%以下の救命が難しい患者の命を救った「劇的救命」は200件を超え、八戸医療圏域の救命救急の要となっている。

自動車整備士に外国人積極採用 人材不足解消図る(2021/01/28)

 自動車整備士の人材不足に対応するため、八戸市のトヨタカローラ八戸(塚原安雅社長)が外国人を積極的に採用し、整備士として育成する取り組みを進めている。現在はタイとベトナム国籍の6人が日本人スタッフに交じって、同社の車検工場で車両のメンテナンスを担当。将来的には国家資格の3級整備士の取得を目指す。同社では技能実習生ではなく、社員として迎え入れることで所得面などの不安を解消しており、外国人労働者の定着を図り、整備士不足の解消につなげたい考えだ。
 自動車整備業界を取り巻く環境は厳しい。厚生労働省によると、自動車整備に携わる要員の有効求人倍率は4・46倍(2018年度)と高止まりが続く一方、少子化や若者の車離れ、職業選択の多様化などで整備士を目指す若者は減少傾向に。全国自動車大学校・整備専門学校協会のまとめでは、自動車整備学校の入学者数は6452人(18年度)と直近の15年の間に半減し、人材不足が顕在化している。
 こうした状況を踏まえ、同社では12年から外国人労働者の受け入れを開始。現在はタイの泰日工業大を卒業したタイ人2人と、ベトナムのホーチミン工科大で自動車工学を学んだ4人が日々、作業に汗を流す。
 特にベトナム人4人は当初、昨年4月から勤務予定だったが、新型コロナウイルスの影響で入国できず、同12月にようやく来日。6人は現在、寮で共同生活を送りながら、車両整備の技術などを磨いている。
 6人は日常会話程度の日本語を話すことができ、携帯用の翻訳機を活用して日本人とコミュニケーションを取っている。社員として雇用し、給与などは日本人と同水準にしている点が外国人技能実習制度との大きな違いで、ビザの関係で雇用契約は3年だが、本人の意思次第で延長も可能。日本で整備士として働き続けることもできるという。
 ベトナム人のホ・ホアン・アンさん(23)は日本の高い自動車整備技術に憧れて来日。「プロと一緒に働くことができてうれしい。日本車のエンジンについて学びたい」と気力十分。18年11月から勤務するタイ人のマノーマン・パティパーンさん(24)も「しっかり技術を学んで、1級整備士を目指したい」と力を込める。
 同社では今後も外国人採用を継続的に行っていく方針。塚原社長は「われわれにとっては貴重な人材を確保できる一方、(外国人にとっては)日本の技術を学べるチャンス。双方にとって大きなメリットがある」と強調する。

地道な整備、車体に迫力/ツカハラミュージアム(八戸)(2019/11/10)

 東日本で最大級の規模を誇るクラシックカー博物館「ツカハラミュージアム」(八戸市)。地域への文化的貢献と次世代を担う子どもたちの夢を育む場を目指し、2005年にオープンした。全国から訪れる自動車ファンに高い評価を受けており、15年目の今年は累計来場者が4万2千人を突破した。日本の旧車や外車、レーシングカーなど館内に展示された、珠玉の名車の整備や案内に携わるエンジニア、ガイドスタッフらの取材を通し、それぞれの車への情熱や運営の理念などに迫った。
 ◆レーシングカー
 05年5月、八戸北インター工業団地にトヨタカローラ八戸を中核とする塚原企業グループが「その時代の最新技術の集合体とも言える自動車の歴史を次世代に残し、伝えたい」との理念に基づき、1号館をオープンした。11年6月には同じ敷地内に2号館を併設した。100年前のクラッシックカーから近年のレーシングカーまで国内外の貴重な車約50台が展示されている。
 取材に訪れたのは10月26日。1号館に入るとすぐ目に入るのが、トヨタが00年代前半、フォーミュラニッポン参戦のために試作したテストカーだ。機密性の高いエンジンは、展示車から取り外されているものの、今にも走りだしそうなシャシーは迫力満点だ。
 ◆人気の乗車体験
 隣には02年全日本選手権GT500クラスでドライバーズチャンピオンになった「トヨタ・スープラGT」と同じ、470馬力以上の出力を誇ったテストカーが並ぶ。富士スピードウェイ(静岡県小山町)などを走り抜けた本物のレーシングカーに乗車できるとあって、若いファミリー層に絶大な人気を誇る。
 父親と来場した男の子が運転席に乗り込み、低いドライバー視点から見る景色に目を輝かせていた。
 ◆レストア専用ガレージ
 同館の敷地内にある専用ガレージでは、専門整備士2人がレストア(修復・修理)作業をしていた。塚原企業グループで板金・塗装を手掛けるテクノクラフトC&Vの程熊忠さん(60)と、トヨタカローラ八戸の整備担当の寺地博美さん(58)だ。
 整備していたのは1926年米国製の純クラシックカー「クライスラー・モデル58」。程熊さんは板金した鉄板を車体に貼り合わせる作業をしていた。
 ボディーの鉄板などを全部剥がし、以前に不十分な修理が施されてしまった箇所や、経年劣化で腐食した部分を修復する地道な作業だ。
 程熊さんは「(レストアする車の)今までの塗装や修理を全部一回きれいにしないと(修理箇所が)分からない。そこからがスタート」と苦労をにじませた。
 寺地さんは「当時の計測器類の精度が低かったためか、見た目は一緒でも右と左で非対称になってるんだよね」と少し嘆きつつ、丸目のガス灯をボディーに取り付けていた。
 ◆歓喜の瞬間
 作業は苦労ばかりではない。程熊さんは「古い車をただ並べてるだけじゃ全然魅力がない。スクラップを見ているように感じる人もいるはず。だから、きれいでエンジンがかかる状態にして並べてあげたい」と旧車への思いを吐露。
 レストア車が走りだした時の話になると、「2人で喜ぶよ。セルがない車の場合は、エンジンをかけるだけで一苦労だけど」と笑みがこぼれた。
 ◆ガイドはエンジニア
 開館は4月から10月までの土日・祝日。冬季は休館となる。取材に訪れた10月26日は今年の最終営業日の前日だが、熱心なファンが次々に来館。ガイドスタッフ歴6年の大嶋勝美さん(74)が案内していた。
 全国から訪れる自動車ファンから「『ここは台数が多い』と好評を頂いている」と笑顔を浮かべる大嶋さん。会社を定年退職後、人材センターに登録。元々自動車に興味があり、偶然に同館を知った。機械設計や整備に携わり、機械保全技能士の資格も保有していたため、知識や経験をエンジン機構などの説明に生かしている。
 大嶋さんは来館者にまずは「ぜひ、乗車してみてください」と気さくに体験乗車を勧める。その後に丁寧な説明、解説を心掛けているという。
 ◆本場で膨らんだ夢
 同館の開館に至るまでには、さまざまな人の思いが込められている。日本の高度経済成長期。塚原企業グループ創業者の故塚原弘久氏ら八戸の企業トップは海外に視線を向けていた。
 2代目社長の塚原安雅さん(69)も、当時から自動車の本場である欧米を歴訪。英国の産業革命後の発展や、米国の自動車産業の隆盛など、当時築かれていた100年の歴史を本場の自動車博物館で目の当たりにした。
 「先代が八戸の地に世話になり、この地で商売をさせていただき、ここまで事業を拡大させていただいているのだから、やはり恩返しをしなきゃならないなと思っていた」と振り返る塚原さん。同グループでは板金・塗装事業も手掛けていたため、数十年前から恩返しの夢として同館の構想を膨らませていた。
 塚原さんの夢に共鳴してくれた弘久氏が海外に行った際、旧車をまとめて20~30台収集した。同館に展示されている1908年誕生のT型フォード(14年米国製)もその時の1台という。
 塚原さんは「アメリカが自動車を大量生産できたのはこの車がきっかけ」とした上で、「自動車ビジネスは車本体を大量生産しないと利益が出ない構図になっている中で生まれた車だった」と解説した。時代背景も知ってもらうため、館内には同時期のA型やB型のフォードもそろう。「車が造られた歴史や背景を知ってほしい」
 ◆開館までの苦労
 当初は弘久氏が用意した旧車を修理できる人材がおらず、手を付けていない車がどんどんさびてしまい、苦労した。指導できる優秀なレストア整備士を探すのに十数年、エンジニアの程熊さん、寺地さんが経験を積むために、さらに十数年を要した。10年以上手を加えていなかった車もあり、開館までにストックしていた全車をレストア。現在は旧車が入庫するたび順次、整備に入る態勢が整っている。
 次の開館は来年4月から。塚原さんは「地域に恩返しをという思いで運営を続けたい」と語る。

トヨタカローラ八戸、市民病院に救難緊急自動車を寄贈(2017/05/12)

 トヨタカローラ八戸(八戸市、塚原安雅代表)は8日、市立市民病院(今明秀院長)に救難緊急自動車1台(700万円相当)を寄贈した。7人乗りの広い室内空間と1500ワットの電力供給機能を備えており、同院の災害派遣医療チーム(DMAT)活動の拡充などが期待される。
 塚原代表は2011年の東日本大震災発生時、岩手県内の被災地支援に自ら赴いた経験などから、同院のDMAT活動に共鳴。同院が所有するドクターカーなどの既存車両では、治療用機材や人員の輸送に限界があることなどを知り、新車両の寄贈を申し入れた。
 今回寄贈したのは、トヨタの高級ミニバン「ヴェルファイア」ハイブリッドエンジンの4駆タイプ。上部に発光ダイオード(LED)ライトの回転灯を設置したほか、フルフラットになる後部座席では患者の応急処置も可能となる。同院では災害時以外に、通常のドクターカーとしての活用も想定している。
 同院で行われた受納式には、小林眞市長らも出席した。塚原代表は「災害現場で強みを十分発揮してほしい」とあいさつ。同院の三浦一章管理者は感謝状を贈り、「緊急医療体制の広域対応拡充につながる」とお礼を述べた。
 今院長は「DMATメンバーを数日間単位で交代させたり、通信機器を使って迅速に情報交換を行ったりと、従来の懸案を解決する大きな力になる。既存車両と併せ、柔軟な形で活用していきたい」と述べた。

東北経産局長賞にトヨタカローラ八戸の塚原氏 「ものづくり日本大賞」表彰式(2018/02/06)

 ものづくりの中核人材らをたたえる「ものづくり日本大賞」表彰式が5日、青森県庁で行われ、廃油を活用した燃料燃焼システムを開発した八戸市の「トヨタカローラ八戸」社長の塚原安雅氏(67)や、大型消波ブロックの製造工程を改良した三沢市の建設業「コウナン」専務の萩野浩司氏(61)ら県内から13人が東北経済産業局長賞に輝いた。
 塚原氏らは、環境負荷の少ない「エマルジョン燃料」と呼ばれる新燃料の普及拡大に向け、自社で燃料製造システムを構築。自動車のエンジン廃油を独自技術で乳化処理し、環境汚染物質の低減を実現した点などが認められた。
 萩野氏らは、大型消波ブロックを製造する際の新工法を考案。従来は大型クレーンでコンクリートを型枠から引き抜いていたが、独自の油圧ジャッキを使いブロックを持ち上げて型枠から外す工法を考えた。大型クレーンが不要でコスト削減と安全性の向上につながるとして受賞が決まった。
 同産業局地域経済部の渡邉善夫次長が一人一人に表彰状を授与。塚原氏は「これからも技術開発に力を入れたい」、萩野氏は「工事のトータルコストを大きく減らすことができる。受賞できてうれしい」とそれぞれ喜びを語った。
 塚原氏と萩野氏以外の受賞者は次の通り。(県南地方関係分、敬称略)
 ▽エマルジョン燃料燃焼システム=岡部敏弘(21あおもり産業総合支援センター)金滝光太郎(日本乳化剤)石岡寿礼、関橋一弘、早川薫(以上トヨタカローラ八戸)▽消波ブロック底型枠横引工法=長谷川明(八戸工業大)坂田文雄(阪栄興業)山本和也(西衡器製作所八戸支店)

トヨタカローラ八戸を創業・塚原 宏 全国トップ級の販売店に(2015/09/13)

 戦後、八戸で自動車販売店を全国トップクラスのディーラーに育て上げた男が、トヨタカローラ八戸の創業者・塚原宏(弘久)である。塚原は戦後間もない自動車産業の揺籃(ようらん)期に販売事業に着手する。そこにはメーカーの再編に翻弄ほんろうされ、何度も倒産の憂き目に遭いながらも、自らの夢を追い求めたロマンがあった。
 塚原はよそから八戸にやって来た“風”の一人であった。栃木県出身で1942(昭和17)年、宇都宮商業高校を卒業。戦時中、中国に渡って華北交通に勤務後、宇都宮師団経理部で終戦を迎える。
 宇都宮で兄の自動車電機修理業「塚原商会」を手伝うが、48(23)年、八戸出張所を立ち上げて独立。弟の昭に電機修理部門を任せ、トラック販売に携わる。53(28)年には青森オオタ自動車を設立。田幾自動車とともに八戸初のディーラーであった。
 しかし、メーカーのオオタ自動車工業が倒産する。57(32)年には青森くろがね自動車を設立するが、再びメーカーの倒産で在庫を抱え、多大な負債を背負う。
 度重なる不運で事業に自信を失いかけていた時、転機がやって来る。63(38)年、トヨタ自動車からの1年越しの要請で、小型乗用車パブリカの販売店を引き受けたのだ。現在のトヨタカローラ八戸のスタートである。
 当時、自動車は国民にとって高根の花であった。やっと売れても、下取り車で損をするなど資金繰りに窮する時代が続いた。
 66(41)年、日産サニー、カローラが発売され大衆車の時代が到来。69(44)年、トヨタカローラ八戸に社名を変更する。これを機にあいさつ、服装など社員の意識改革に踏み切り、創業以来、初めて黒字を達成する。
 「会社発展の基は中古車の販売にあり」を経営方針に掲げ、中古車センターを新設。さらに八戸に営業拠点4カ所を置き、業績も飛躍的に伸びていった。
 88(63)年には、全国カローラ店の総合表彰を受賞。その後19年連続受賞の偉業を成し遂げ、全国最優秀ディーラーとして名をはせる。
 こうした陰には、塚原独特の「会社発展の基は、社員の教育にあり」を社是とする経営哲学があった。自身も各界の栄達の人に耳を傾けるなど自己研さんに余念なく、共感を得た言葉を標語として事務所内に掲げ、社員への浸透を図った。
 また、金融機関ではブルドーザーと称されるほど事業の将来性を熱く語った。社内では常に現場を回り、苦情を取り上げるなど情報共有に努めた。時には激怒し鉄拳を下し、社員とともに涙するほどの激情家でもあった。
 一方、社員を妻の手料理でもてなしたり、子どもにランドセルを贈ったりするなど家庭的な雰囲気を大切にし、新入社員へは「自分の親父(おやじ)のつもりで接してほしい」と言葉を掛けた。地域一の厚遇を心掛けるほど社員への熱い思いがあった。
 塚原は65歳を機に長男安雅に社長職を譲り、苦難の時代に始めた座禅の修行を生涯の務めとする。92(平成4)年、67年の波乱の生涯を静かに閉じた。
【スポーツクラブ設立】
塚原宏は、健康にはスポーツが大切であると常々考えていた。ところが八戸には室内プールが少ない。そこで子どもたちの健康増進に役立つ方法はないかと考え、1984(昭和59)年、サンフィッシュ・スイミングスクールを創設。後にフィットネスクラブ・ウイングに名称を変更し、現在は青森県内6カ所で会員計9千人を抱える。